eellife
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仕事における二重の「正しさ」を考える

世の中の問題の記事を読み気分転換をすることが少なくない。娯楽として考えれば言いたい放題放言し放題で楽しいものだが、自分自身の仕事を見つめ直すと悩ましいことが多い。
仕事の正当性を担保することは、常識であるかのように語られるが、これはこれで難しい課題である。
以下を読んで考えた。
それでもあの五輪エンブレムは”パクリ”ではない! 〜そもそもデザインとは何か? http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44972 デザイナーだけでなく、映像クリエイターやプランナー、プロデューサーほかの方々でも、まったく何かを盗用した自覚がないにも関わらず、「自分の仕事が何かに似ていると唐突に指摘され、佐野氏のように世間から糾弾されるのではないか」と内心ビクビクしているクリエイターもいるかもしれない。
多くの仕事は偏った利益の為に行われている。そういうものだと思う。
しかし詳細にみていくと、あらゆる仕事が、資源の無駄遣いであったり、エネルギー問題に逆行したり、貧しい人々から搾取する構造を結果として作っていたり、と俗に「悪い事」と言われてしまう面もあるだろう。
かといってこれらを陰謀論のようにくくってしまうことも違和感がある。
わたしは、仕事の妥当性は基本専門家に委ねるべきだと思う。仕事の価値を一面的な倫理観だけで語るのは、わたしたち自身の仕事で考えればわかるようにバランスが悪い。
職業人にはなにか理由があるはずだ。
そして、専門家の実務というのは残念ながら視野が狭くなりがちではある。効率化のために専門家を設けたのだから必然である。(裁判員制度導入の理由のようなものか)
だからこそ我々は、日々の仕事の正しさ(妥当性)と、「大きな正義」との溝をときどき考える必要があるだろう。むろん「大きな正義」は括弧書きで曖昧だとは思うが。
仕事人としては、コツコツ自分の仕事をよりよいものにしていくしかないのだろう。
その意味で仕事の歴史を知る事には意味があるのだと思う。
(本件なら亀倉雄策氏の経た過程は興味のあるところである)
亀倉雄策著『曲線と直線の宇宙』
※しかして高い。なかなか知る事だけでも大変である。
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