
ウルトラマンシリーズの脚本かといえば、金城哲夫さんが有名ですが、帰ってきたウルトラマンの脚本を手がけた、もう一人沖縄出身の脚本家「上原正三」をご存知だろうか。1937年生まれの生まれの79歳。ウルトラQの「宇宙指令M774」でプロデビュー。その後「帰ってきたウルトラマン」「秘密戦隊ゴレンジャー」などで脚本を書いてきた人です。
その上原さんのインタビューが沖縄タイムスの 3 月 27 日版に掲載されています。印象に残る言葉がたくさんある。幾つかピックアップしてみます。
―金城さんのウルトラマンとは。 「『ウルトラセブン』の第42話『ノンマルトの使者』に沖縄を投影させたという説があるけど、金城はそんなに意識していなかったと僕は思う。ファンタジーの中でしっかりと収めるのが、金城のウルトラマン作品のすごさだ
―それでは、上原さんのウルトラマンは。 「だから『帰ってきたウルトラマン』は僕をはじめ、いろいろなライターがやりたい放題にやっているよね。初代『ウルトラマン』のような透明感はなく、斜(はす)に見た感じの物語が主流になっていった」
ウルトラマンやウルトラセブンの方が、社会問題に向かってきた感じがあったのだけど、帰ってきたウルトラマンはファンタジーが消されて、より社会問題と対峙するような内容だったんですね。その後、上原さんはこんなことを語ってます。
―放送時の71年、沖縄は「日本復帰」直前だった。 「このままだと、沖縄は翻弄(ほんろう)され続ける。一さんの『沖縄はタブーだ』がずっと胸に引っかかっていて、いつか差別、マイノリティーを真正面から問おうと考えていた。番組も3クール目に入り、安定期に入っていた。やるなら今だと…」
―それで、第33話「怪獣使いと少年」ができた。 「登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』などのデマが瞬く間に広がった。市井の善人がうのみにし、軍や警察と一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」
実に生々しいではないですか。これは21世紀の今でも十分に通じるテーマではないでしょうか。
ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー