ilovelingon
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邦人拘束事件は問う 神奈川新聞より
中東での人質事件がおこるたびに沸き起こる「自己責任論」。どんな理由があるにせよ国家は自国民を助けるのが義務だし、なによりも人間として罪のない人が殺されるのを見て自業自得とか言ってられるのが信じられない。。。 神奈川新聞からのこの記事、自己責任論をふりかざし、知ることに重きをおかない日本社会について、あるジャーナリストが語っています。  『「いま現場で何が起きているのか。イラクやシリアがどうなっているのか。危険で容易に立ち入れないため知るのは難しい。知るための貴重な情報に価値を見いださない社会とは、どういう社会なのか」  無関心、臭いものにふたをするように意図して目を背ける忌避、あるいは解決が容易ならざる問題を遠ざける怠惰。』 以下記事より 日本人2人が過激派組織「イスラム国」とみられるグループの人質になった事件。自身もイラクで武装勢力に拘束された経験を持つジャーナリスト安田純平さん(40)は思う。憎しみの大地と足元の日本社会は地続きである、と。再びもたげようとしている「自己責任論」が、そう言わせる。  オレンジ色の服をまとい、後ろ手に縛られた2人の姿に思ったのは「出てしまったか」。いつか日本人が標的になるという悪夢は現実となった。  「報道によれば、昨年の12月ごろに身代金を要求するメールが彼の妻のもとに届いていた。この間にもっとできることが政府にはあったのではないか」  人質の一人、ジャーナリスト後藤健二さん(47)とは同業の士として1年前に知り合い、食事をする仲になっていた。殺害予告の映像を目の当たりにし、口惜しさは隠しようがなかった。 ■自己責任論  昨年4月、安田さんは取材のためイラクにいた。北部ではイスラム国が勢力を拡大していた。  2004年、やはり取材中、武装勢力に拘束された場所だった。当時、日本国内では拉致された経緯が報じられ、「自己責任論」が語られた。  危険と分かっていて自ら行ったのだから、殺されても仕方がない-。  今回もインターネットを中心に「自業自得」の声が飛び交う。10年余り前と変わらぬ思いを安田さんが吐き出す。  「こんな国は日本くらいじゃないか」  欧米の先進国社会は紛争地から届けられる情報に高い価値を見いだす。行方不明のジャーナリストの安否情報を毎晩のように伝える番組もある。  「いま現場で何が起きているのか。イラクやシリアがどうなっているのか。危険で容易に立ち入れないため知るのは難しい。知るための貴重な情報に価値を見いださない社会とは、どういう社会なのか」  無関心、臭いものにふたをするように意図して目を背ける忌避、あるいは解決が容易ならざる問題を遠ざける怠惰。  「それこそがシリアで起きていることを生み出している。イスラム国の問題と日本は無関係じゃない。だがそれは、今回のような事態になってみないと理解されない」  イスラム国対策で約束された2億ドルの支援金、イスラム過激派が敵視するイスラエルへの急接近といった安倍政権の中東政策を事件と分けて考えることはできない、とみる。 ■国家の選別  過去にイラクやアフガニスタンといった紛争地帯で起きた武装勢力による拘束事件では、人道支援の関係者やジャーナリストだけでなく旅行者も狙われた。  安田さんの目に自己責任論の矛先はいま、後藤さんが救出しようとした湯川遙菜さん(42)により厳しく向かっているように映る。自ら立ち上げた民間軍事会社の顧問を名乗り、反政府勢力と行動をともにしているところを捕らえられたとみられる。  「だが」と安田さんは力を込める。「何をしに紛争現場へ行ったのかを救出の是非に結び付ける論調がある。それでは理由によっては『では、助けなくてよい』という話になりかねない。それは違う」  国家が選別し、取捨選択される命があり得るなら、人々はやがて国家の意に沿って振る舞うようになるだろう。その先に待つのは、価値観が国家という一つの物差しに収斂(しゅうれん)してゆく社会、つまり多様性を失った社会ではないのか。  いや、すでにして「反日」「国賊」のレッテル貼りはネットや一部保守系メディアでなされ、在日コリアンに向けられた「日本が嫌いなら出ていけ」のヘイトスピーチ(差別扇動表現)が街中に出現して久しい。  そして異端は排除されようとしている。  「日本は豊かになり、飢えることなく生きられるようになった。いまや幸せはつかむのではなく、与えられるものだ。だから何かを渇望し、行動する者は異質に映る」  戦場へ自ら足を踏み入れるなんてばかげている。だから助ける必要などない。そうして他者への想像を遮断してゆけば、他者への共感も持ち得ない寒々しい社会になってゆく。 ■耳を傾ける  人質を捕らえ、身代金を要求し、斬首の映像をインターネットで流す。罪もないシリアやイラクの人々を殺し、略奪し、支配する。国際社会の非難を浴びながらイスラム国は拡大を続け、数十カ国から数万人規模の戦闘員が参加しているとされる。  その存在を「残虐なテロリスト集団」という側面だけで語ることは果たして妥当だろうか。  シリアの内戦は12年ごろから激化した。反政府武装勢力とアサド政権が戦闘状態となり、政府軍は空爆を繰り返した。片や反体制派同士は対立し始め、内戦は混迷を極めた。  「この間、国際社会は内戦を放置してきた。だがその現場では、毎日数多くの一般市民が死んでいった」  そうした状況の中、いくつかの反体制派がイスラム国へ合流していった。  空爆で命を奪われるのは遠い国の誰かではない。目の前の家族であり、親族であり、恋人であり、友人だ。巨大な暴力を前になすすべなく命が消されてゆく絶望という現実。そこへ、欧米への対抗姿勢も鮮明に力強いスローガンを掲げ、人々の憎悪と希望を吸い上げながら勢力を拡大していくイスラム国。  「支配地域拡大のため、爆弾を抱えて陣地を奪うことさえする集団に気持ちが寄せられる。虐げられた側にとっては、そういうこともあるのだろう」  そうした想像を絶する人心への理解も、かの地の凄惨(せいさん)を知り、渦巻く深い憎悪に触れてこそなし得る。  だから現場を知らずに「ああいう不安定な国は独裁政権による強権でなければ支えられない」などと割り切ってみせる学者や評論家の弁に反発を覚える。「それは『平和のためには皆殺しにされても仕方がない』と言っているようなものだ」  だからこそ安田さんは顔を上げ、目を見開く。  「いかに残忍な存在であったとしても、なぜ存在しているのかを考える必要はある。そのためにも彼らが何を主張しているのか耳を傾ける必要がある」  自分たちの国のこれからのあり方を考えるためにも-。 ●やすだ・じゅんぺい 1997年信濃毎日新聞入社、2003年フリージャーナリストに。04年4月、米軍爆撃のあったファルージャ近郊を取材中、米国のスパイと疑われ、武装勢力に拘束される。頭から布をかぶせられ車で民家を転々とし、3日目に解放された。日本国内では「自己責任論」が巻き起こり、「無謀だ」「迷惑を掛けるな」などと激しいバッシングにさらされた。その後も戦場での取材を続け、最近では12年にシリア内戦、14年にイラクを取材。著書に「囚われのイラク」「誰が私を『人質』にしたのか」「ルポ戦場出稼ぎ労働者」。 【神奈川新聞】
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