ilovelingon
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(論壇時評)寛容への祈り 「怪物」は日常の中にいる 作家・高橋源一郎
日本社会に対する深い洞察。朝日新聞より
「人質問題」をめぐり、いくつかのことを考えた。一つは、湯川遥菜さんについて語られることが少ないということだった。確かに、彼の行動の多くは、理解に苦しむものだった。だが、わたしたちはそうではない、彼は特殊なのだ、といえるだろうか。その、人間的な弱さ(と見えるもの)も含めて、実は、彼は「ふつうの人」だったように思える。そのことが、わたしには、とても悲しかった。
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 それから、後藤健二さんの本を、手に入るだけ集めて読んだ。どの本にも、後藤さんが死線を超えて見つめた風景が映されていた。後藤さんの本の特徴は、そこで描かれているのが、特定の誰か、それもたいていは少年・少女であること。そして、本自体が少年・少女向きに易しく書かれていることだった。
 家族を虐殺されたのに、その虐殺した人たちと共に暮らしていかなければならない国に生きる者の苦しみ〈1〉、麻薬をうたれて敵を殺し続け、そこから現実に復帰した少年兵の哀(かな)しみ〈2〉、学校に行ったことのなかった少女の葛藤〈3〉。かみ砕くには苦すぎる物語を、後藤さんはあえて「少年・少女」に向けて語った。なぜだろうか。後藤さんが見つけて来る物語に、聞く耳を持たないおとなたちに絶望していたからなのだろうか。
 後藤さんと同じように(ときには同じ場所を)駆け回ったカメラマン・亀山亮はパレスチナで取材中、ゴム弾で左目を失明する。2003年のイラク戦争について彼は、日本のメディアの多くが危険な紛争地帯に自社スタッフを送ることに消極的になったとしてこう書いた〈4〉。
 「フリーランスのジャーナリストたちの誘拐や香田証生君の処刑ののち、日本のメディアはヒステリックな自己責任論で個人へのバッシングを繰り返した。日本のメディアはなんの保障もせずにフリーランスをイラクに行かせ、問題が起きると即切り捨てる。その手口は、やくざな手配師と日雇い労働者の関係そのままだった」
 それにもかかわらず、彼らはまた「戦場」に赴く。それは、「戦場」が、わたしたちにとって「遠い」出来事ではなく、わたしたちが享受している平和が実はか弱い基盤に載っていることを教えてくれるからだ。
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 「人質事件」をきっかけに、いわゆる「イスラム国」に関する論考が夥(おびただ)しく現れた。「狂信的テロ集団」と呼び、「非人間的」と糾弾する声も多い。ほんとうに彼らは、想像を超えた「怪物」なのか。田原牧は、違う、という〈5〉。
 「彼らは決して怪物ではなく、私たちの世界がはらんでいる病巣の表出ではないか」「彼らをまったくの異物と見なす視点には、自らの社会が陥った“狂気”の歴史に対する無自覚が透けている」
 想田和弘は、彼らがヨルダンのパイロットを焼き殺した動画を見て、そこにはハリウッド映画の「文法」があるように思えたと呟(つぶや)いた〈6〉。わたしも、その動画を(途中まで)見た。残虐だが、そこにはある種の美意識さえあるように思えた。そのような残酷さは、人間だけが持ちうるのだ。田原は、こうも書いている。
 「彼らがサディストならば、ましだ。しかし、そうではない。人としての共感を唾棄(だき)し、教義の断片を無慈悲に現実に貼り付ける『コピペ』。この乾いたゲーム感覚ともいえるバーチャル性が彼らの真髄(しんずい)だ。この感覚は宗教より、現代社会の病的な一面に根ざす」
 だとするなら、わたしたちは、この「他者への共感」を一切排除する心性をよく知っているはずだ。「怪物」は遠くにではなく、わたしたちの近くに、いま日常的に存在している。
 雑誌「現代思想」は、社会に蠢(うごめ)いている「反知性主義」とも呼べる、一つの考え方を特集した〈7〉。だが、その中で酒井隆史は「ネット上にあふれる排外主義、レイシズム、あらゆる差別の攻撃的な言語」について、そこにあるのは「反知性主義」というより、一種の知性主義であり、自らが「非知性」と断じるものへの強い嫌悪である、とした〈8〉。
 自分と異なった考え方を持つ者は、「知性」を欠いた愚か者にすぎず、それ故、いくら攻撃してもかまわない、という空気が広がる中で、日々「怪物」は成長し続けている。
 1762年3月、ひとりの新教徒が冤罪(えんざい)によって処刑された。宗教的な狂信が起こした事件だった。それを知ったヴォルテールは「人間をより憐(あわ)れみ深く、より柔和にしたいとのみ念じ」不滅の『寛容論』を書いた〈9〉。ヴォルテールが見た光景は、わたしたちがいま見ているそれに驚くほどよく似ている。
 本の終わり近く、彼は、どんな宗教の神でもなく、世界を創造したと彼が信じる「神」に祈りを捧げたが、250年たったいまも、その祈りはかなえられてはいない。
 「われわれの虚弱な肉体を包む衣服、どれをとっても完全ではないわれわれの言語、すべて滑稽なわれわれの慣習、それぞれ不備なわれわれの法律、それぞれがばかげているわれわれの見解、われわれの目には違いがあるように思えても、あなたの目から見ればなんら変わるところない、われわれ各人の状態、それらのあいだにあるささやかな相違が、また『人間』と呼ばれる微小な存在に区別をつけているこうした一切のささやかな微妙な差が、憎悪と迫害の口火にならぬようお計らいください」
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 〈1〉後藤健二『ルワンダの祈り』(2008年刊)
 〈2〉同『ダイヤモンドより平和がほしい』(05年刊)
 〈3〉同『もしも学校に行けたら』(09年刊)
 〈4〉亀山亮『戦場』(今年2月刊)
 〈5〉田原牧「『イスラーム国』に浮足立つな」(週刊金曜日2月13日号)
 〈6〉想田和弘のツイートから(2月上旬)
 〈7〉特集「反知性主義と向き合う」(現代思想2月号)
 〈8〉酒井隆史「現代日本の『反・反知性主義』?」(同)
 〈9〉ヴォルテール『寛容論』
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 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。著書『デビュー作を書くための超「小説」教室』が3月刊行予定。
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